彦根藩15代藩主井伊直弼。
彼は13代藩主井伊直中の十四男として生まれています。
所謂予備駒です。
兄が死ななければ一生部屋住みの身分でした。
そして32歳までは300俵という少ない扶持で部屋住みの身分でした。
その間に茶道、和歌、太鼓、禅、槍、居合といった分野の修業をし、それなりの名声を得ていました。
現代でいう、良いところの坊ちゃんです。
他にすることなかったんですから。
ところが兄が死ぬことにより、家督を継いで15代藩主となります。
ひとたび藩主となれば井伊家は譜代の大身。幕閣に対していろいろなことが言えます。
井伊直弼は阿部正弘が進めた外様大名を含めた雄藩による幕政というのが気に入らなかったようです。
直弼の理想はあくまでも譜代大名による従来通りの幕藩体制。
開国派と呼ばれ、確かにその通りの行動をしているのですが、本当に開国派であったかは疑問視する歴史学者が多いようです。
どちらかと言うと我儘なタイプのようで、孝明天皇の意向を無視して日米修好通商条約を結んでしまいます。このため開国派と呼ばれています。
しかし、彼の目的の本質は一橋派の追い落としであり、自分の気に入らない人物を次々と罷免し強権を以て幕府の運営をしていきます。
これが却って事なかれ主義の幕府の動きを機敏にしていました。
なんだか今の民主党の代表にイメージがダブります。
直弼に無視された孝明天皇は水戸藩の取り込みを図ります。
これに対抗して直弼は安政の大獄を行い、多くの活動家が公家も大名も蟄居させられたり身分が低ければ牢獄に繋がれたりします。
ついには尊皇派によって桜田門外の変に至ることになります。
力によって抑えつけた者は力によって散ることになるのです。
井伊直弼が強権を持って幕府を仕切っていただけに、直弼の死により幕府は一気に力を失い、逆に雄藩が勝手な動きをするようになり、直弼の理想とする体制とは逆の方向に世の中が回っていくことになります。
井伊直弼の本当の目的は開国によって欧米の文化を取り入れ、幕藩体制を強化したのちに攘夷を考えていたとも言われています。
後の明治政府が取った行動も天皇制による富国強兵か、幕府による富国強兵かの違いだけで、結局この時代の人たちは同じことを考えていたのでしょう。
ただ譜代として生まれたか外様として生まれたかによって少し行動が違っただけで。
なお、直弼は井伊の赤鬼と呼ばれていました。
これは初代藩主の井伊直政があらゆる武具を朱塗りにして闘っていたことから、「井伊の赤備え」と呼ばれ、特に小牧・長久手の戦いでは奮戦し、「井伊の赤鬼」と尊敬の念で呼ばれていました。
これに対し直弼は多少軽蔑の意味を含めて呼ばれていたようです。
赤備えは今で言えば赤ヘル軍団ですね。
ただし広島カープが貧乏軍団なのとは違い、当時の朱塗りは金がかかり、それゆえに武勇に秀でたものが高いお金を使って赤い具足をつける習慣がありました。
井伊家は大金を投じて家臣団すべてを赤で揃えていたわけです。
逆に敵から見れば、「こんなにも武勇に秀でた連中が相手か」と震え上がったことでしょう

