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家康の直子たちはどうなったのか。その家系図

徳川家の少し詳細な家系図を以下に示します。

取りあえず今回は家康の直子のみ。

だんだんとどの将軍がどの家の出だか判るようにします。あまり重要でないと思われる子は割愛しています。

左側が親、上に行くほど兄弟でも先に生まれていることを意味します。母親は省略しています。


家康ー信康・・織田信長の命により切腹
  −秀康・・結城氏へ養子、越前北庄松平氏67万石の祖
  −秀忠・・徳川二代将軍
  −忠吉・・東条松平家を相続、清州62万石。28歳で早世。
  ー信吉・・甲斐武田氏を継承、水戸25万石。21歳で早世。武田家断絶。
  −忠輝・・長沢松平氏を相続、越後高田75万石。のち改易
  −義直・・忠吉の後を継ぎ、尾張徳川氏の祖53万石
  −頼宣・・紀州55万石の祖
  −頼房・・水戸徳川家28万石の祖

家康の直子は以上です。

おそらく、家康としては、将軍家のみ徳川を名乗り、他の兄弟は松平とするつもりだったのでしょうが、次々と早世または改易となるため、義直からあとは徳川を名乗らせ、御三家としたのでしょう。

なお、秀康については、家康が自分の子かどうか怪しんでいたので、松平のままだったと言う説もあります。

確かに嫌われていたであろうと言うことは、彼の処遇に見え隠れしています。

性格が粗暴だったからという説もあります。

それは家康本人しかわからない真実と言えるでしょう。

忠輝は武勇に優れ、正室が伊達政宗の娘と言うことで秀忠から警戒されていました。

大久保長安事件でもとばっちりを受けています。

忠輝は容貌が醜かったため家康からも嫌われていたと言われています。

秀康も醜かったそうです。

家康は自分の子を顔で差別する癖がありそうです。


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