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埋蔵金伝説

徳川埋蔵金伝説は江戸城無血開城に始まります。

西郷隆盛と勝海舟の話し合い決着により、江戸城は戦火をまぬがれました。

そして官軍が入城してみると、なんと城内の貯えがなかったのです。


いくら困窮していた幕府とは言え、いざ決戦に備えていくばくかの蓄えはあるはず。

そこまで衰えていたはずはありません。

かと言ってないものは無い。

何処へ隠したのか。


隠すとすると江戸城内。

或いはもっと前から江戸城を捨てるつもりで遠隔地に隠したか。

しかし江戸城を捨てて、徳川家再興を図ると言うのは戦略的に無理です。


疑いはまず幕府の勘定奉行小栗忠順に向けられます。

しかし小栗は開城前に領地の権田村で官軍にとらえられ処刑されていました。


そこで次の手掛かりとなったのが、農民たちの証言。

赤城村で船から大きな荷物が利根川から陸揚げされ武士たちにより赤城山麓へ運ばれたという噂。


さらに当時の幕府方の中心人物の一人、中島蔵人が臨終の床で「御用金埋蔵は井伊大老の計画で実行役は自分を含め小栗忠順や数名。

金額は360万両。

諸外国へ徳川の財宝が流出するのを防ぐということと、いざと言う時の外国との戦費」という内容でした。


これで埋蔵金伝説に火が付きました。


この埋蔵金探しは現在でも続いており、ドキュメンタリ映画までできています。

実際の坑穴も見つかっていますが其処からは何も発見されませんでした。


私の考えるところ、徳川埋蔵金はどこかにあると思います。

しかし360万両もあったかと言うと疑問。

また、最後に中島蔵人が何故しゃべったか?


ここにも疑問が残ります。

しゃべったのはやはり秘密にしておくことができないという人間の心理として判らなくはないのですが、360万両と言う法螺をどうして吹いたのか。

また埋蔵金を隠すとなると、必ずどこかに囮を仕掛けます。

この赤城山は明らかに囮でしょう。


しかし囮がある以上、どこかに埋蔵されているのも確か。

ではこの宝はどこに眠っているのか・・・

みなかみ町猿ヶ京温泉や旧三国街道永井宿付近、沼田街道沿いの片品村 こういったところが今でも発掘対象となっています



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